1963年 開運橋のたもとで 行方不明

タカハシ、盛岡駅の繁華街「盛岡駅前北通り」現在の
「盛岡スーパーホテル」(写真左奥)の辺りに住んでいました。

啄木の愛した風景で有名な開運橋のたもと。
その昔「木伏し」(きっぷし)と云われた場所。
対岸(写真右側)が啄木が住んでいた材木町。

そんなことは知らず、毎日開運橋を渡って
小学校へ通っていました。



朝、夕、四季折々繰り広げられる開運橋からの景色を
見ていたことになります。

1963年 とある夕刻・・・ボクは
岩手山の色が変わるのが面白くてそれを開運橋の上で見ていた。
そしたら大人の人に凄い勢いでガシッと抱き捕まえられた。

ビックリした。

それは近所のひと、どうやらボクが「行方不明」ということ
になっていて、みんなで探してくれていたらしい。 (^_^;)



当時は駅前のパチンコ店、キャバレー、旅館などの華やかな
顔とバラック小屋のスラム街が混在していました。なので

桜木小学校でも極貧と金持ちの子が一緒に勉強していました。

写真左の緑地、昔は草ボウボウの河川敷が遊び場でした。
橋の真下にいわゆる乞食が住んでいましたが、小綺麗で
ゴミもなく井戸もあったのでボクの目には家(アパート)の
隣のバラック小屋と遜色はなく、どちらかといえば
屋根がなく吹き抜けの天井が開運橋の方が丈夫。